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広島高等裁判所 平成6年(う)170号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小田誠裕作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官原伸太郎作成の答弁書に各記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、訴訟手続の法令違反ないし事実誤認の主張について

論旨は要するに、「違法に収集した証拠能力のない被告人の尿の鑑定書等の証拠に依拠して、原判示覚せい剤使用の事実を認定している原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ひいては事実誤認がある。すなわち、広島中央警察署の警察官は、被告人に対して毒物及び劇物取締法違反の罪による確定判決執行のための広島高等検察庁に引致すべき旨の収監状を執行し、被告人の身柄を拘束したのであるから、刑訴法四八九条、七三条に従って「できる限り速やかに且つ直接」、右引致場所に連行すべきであって、その身柄拘束を利用して捜査をすることは許容されないのに、収監状執行の際に被告人が注射器を所持しているのを発見し、覚せい剤使用の嫌疑が認められ、その捜査の必要性が認められたとして、収監状による被告人の身柄拘束を利用して同警察署に連行した上、被告人に対する採尿や取調べ等の捜査をしたのは違法であって、これにより収集した証拠は、令状主義の精神を没却する重大な違法があるものである。」というのである。

そこで、所論にかんがみ、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。

一  捜査状況報告書(原審検一号)、収監状謄本(原審検二号)、任意提出書(原審検三号)、領置調書(原審検四号)、鑑定嘱託書謄本(原審検五号)、鑑定書(原審検六号)、写真撮影報告書(二通、原審検七号、八号)、前科調書(原審検一六号)及びAの当審証言など関係証拠によれば、本件捜査の経過は、次のとおりである。すなわち、

1  被告人は、平成六年二月一八日広島地方裁判所で毒物及び劇物取締法違反の罪により懲役一〇月の判決を受け、控訴したが、同年六月二一日控訴棄却となり、右第一審判決が同年七月六日確定した。

2  広島高等検察庁検察官野田義治は、同年八月四日その刑の執行のため被告人を広島高等検察庁(広島市中区上八丁堀二―一五)に引致すべき旨の収監状を発し、この執行を担当した広島中央警察署のA警部補、B巡査部長、C警部補及びD巡査の四名において、同月一一日午後零時五五分、広島市a区bc丁目d番e号f荘g号室に赴き、C警部補が、被告人に対し右収監状を示して執行した。

3  右執行の際、被告人が、ズボンのポケットからティッシュペーパーが一部出ている赤色の小さな布袋一袋を取り出して近くにあった整理タンスの引出しに入れたので、これを見ていたA警部補は、被告人の承諾を得て、同袋を取り出して開披してみると、その中にティッシュペーパーに包まれた注射筒一本、キャップ付注射針一本及び注射器一本を認め、被告人に覚せい剤取締法違反の前科があることも分かっていたので、この注射器等につき被告人に質したところ、被告人が黙ったまま答えない態度を示したこともあって、被告人に覚せい剤使用の嫌疑があるものと思料した。

4  同警察官らは、当初から収監手続の便宜を図るため、右引致場所の途中に位置する同市中区基町九番四八号所在の同警察署に一旦立ち寄って収監状を執行した状況等を同検察庁に予め連絡する予定でいたところ、右覚せい剤使用の嫌疑が発生したので、これについても緊急に捜査する必要性を認め、被告人を捜査用車両に乗せて、同日午後一時一五分ころ、同警察署の防犯課に連行した。

5  右警察署において、同警察官らは右収監状執行状況等を同検察庁に電話で連絡するとともに、そのころ、被告人が前記注射器等を任意に提出し、これをD巡査が領置し、また、被告人が自ら上着の長袖をめくり上げて見せた両腕肘関節内側にある注射痕について、同警察署のE巡査が写真撮影をし、さらに、被告人は、A警部補の取調べに対し、二、三日くらい前に自宅の便所で水に溶かした覚せい剤を右注射器を使って左腕に注射した旨自供し、また、同日午後一時四六分ころ同警察署四階男子便所でE巡査立会いの下に採取した被告人の尿を任意に提出しており、これをD巡査が領置している。

6  同警察署の警察官は、その後、同日午後二時四五分ころ同検察庁に被告人を引致した。他方、被告人が提出した尿を同日広島県警察本部刑事科学捜査研究所に鑑定嘱託した結果、同日電話により、その尿から覚せい剤が検出されたとの回答を得た後、同月一六日被告人を本件覚せい剤使用被疑事実により通常逮捕し、被告人は、同日以降の捜査官の取調べに対し、一貫して右事実を認めている。

右認定に反する被告人の当審公判廷における供述は関係証拠に対比して措信することができない。

二  以上の経過に照らすと、原判決が原判示覚せい剤使用事実を認定するに依拠している重要な主だった証拠は、前記八月一一日に被告人を広島中央警察署に連行して収集した被告人からの採尿、その鑑定、自供に関連するものであることが明らかであるから、その証拠収集過程の適法性について検討する。

1  刑訴法上、収監状の執行者は、収監状の執行により身柄を拘束した者を「できる限り速やかに且つ直接」、指定された場所に引致しなければならない旨(刑訴法四八九条、七三条一項参照)規定されており、右規定は、無用な回り道をしないで指定場所に引致して、収監状執行手続を適正、迅速に終えるべきであるとの趣旨と汲みとることができ、違法捜査抑制の見地からしても、捜査機関が、主に捜査目的のため、捜査令状なくして、収監状の執行による身柄拘束を利用し、その者につき取調べ等の捜査をすることは、許容されないというべきである。

本件においてこれをみると、まず、収監状の執行により被告人の身柄を拘束した担当警察官が直ちに引致場所である広島高等検察庁に引致せず、広島中央警察署に被告人を連行している点は、前記の収監状執行場所、同警察署及び同検察庁の位置関係並びにその目的、すなわち、収監状執行状況等を事前に同検察庁に連絡した後同所に引致しようとしたものであることに照らし、一概に無用な回り道であるとはいえず、そのこと自体は違法であるとは認められない。しかし、その後、同警察署で被告人の本件覚せい剤使用容疑捜査のため、捜査令状を取ることなく、前記一5記載のとおり、本件覚せい剤使用につき重要な各証拠を収集している点は、被告人の収監状による身柄拘束を利用してなされた捜査といわざるを得ず、その違法性を否定することができない。

2  しかしながら、次のような事情も存在する。

(一) 右収監状執行時、前記注射器等が発見されており、被告人に覚せい剤使用の嫌疑による任意同行を求めるべき捜査の必要性が十分窺われる状況にあった、つまり、本件のように覚せい剤使用の嫌疑がある場合は、一刻も早く採尿するなどしてその証拠を確保する必要性、緊急性が認められること

(二) 被告人の当審公判廷における供述によれば、被告人自身、収監状執行の際に、注射器等が発見されたことから、覚せい剤使用の嫌疑による捜査のため、警察署に同行を求められて、警察官の取調べや採尿を受けるかもしれないことは承知していたことが認められること

(三) 前述のように、収監状執行後、広島高等検察庁への連絡のため広島中央警察署に立ち寄ること自体は違法とは認められない上、同警察署に立ち寄った時間は、連絡のための所要時間及び捜査に要した時間を含めても約一時間三〇分という短いものであるばかりでなく、右収監状の執行時点から被告人の刑執行が始まっているのであって、この点で被告人に不利益がないこと

(四) Aの当審証言、前記認定の被告人を広島中央警察署に連行するに至った経緯に照らすと、本件捜査を担当した捜査官には令状主義の精神を無視し、あるいは潜脱する意図は全くなかったと認められること

(五) また、前記関係証拠によっても、広島中央警察署に連行後の被告人に対する写真撮影、取調べ、採尿の手続等については、それ自体に違法の廉は認められないこと(被告人の当審公判廷における供述によっても、現にこの点の不服の主張は窺われない。)

3  右のような諸事情に徴すると、被告人に対する収監状の執行による身柄拘束を利用して同警察署で行われた捜査手続が、令状主義の精神を没却する重大なものであるとまではいえず、これらによって得られた証拠を被告人の罪証に供することが違法捜査抑制の見地から相当でないとまでは認められないから、原判決が挙示する被告人の尿の鑑定書、被告人の自白調書などの証拠能力はこれを肯認することができる。なお、右各証拠は、いずれも原審において弁護人の同意を得た上で適法な証拠調べがなされている。

三  したがって、証拠能力がある前記鑑定書等原判決挙示の関係証拠によって、被告人に対し原判示覚せい剤使用の事実を認定した原判決に所論の判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ないし事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、被告人に対する原判決の量刑が不当に重い、というので、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。

本件は、原判示のとおり、被告人が平成六年八月九日ころ覚せい剤を自己使用したという事案であるところ、本件罪質、態様のほか、ことに被告人は、これまでに毒物及び劇物取締法違反、青少年保護育成条例違反、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪により多数回罰金刑に処せられた上、昭和五六年九月二四日覚せい剤取締法違反(自己使用)、業務上過失傷害、道路交通法違反の罪により懲役一年二月(三年間保護観察付執行猶予、昭和五七年一〇月二九日執行猶予取消決定確定)に、昭和五七年九月三〇目覚せい剤取締法違反(自己使用)、窃盗の罪により懲役一年一〇月に、昭和六三年一二月二二日傷害罪により懲役一〇月に、平成四年一一月六日窃盗、毒物及び劇物取締法違反の罪により懲役八月に、さらに平成六年二月一八日毒物及び劇物取締法違反の罪により懲役一〇月に各処せられたのであるから、十分自戒し、更生に努めるべき立場にあったのに、又しても本件犯行に及んだものであって、被告人には薬物に対する依存性及び法規範軽視の性向が顕著に認められることなどに照らすと、犯情はよくなく、その刑事責任は軽視することができない。

そうすると、被告人が、本件について反省の態度を示していることなど、所論が指摘し、記録上肯認し得る被告人のために酌むべき事情を十分に考慮してみても、被告人を懲役一年四月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入につき平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を、当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法一八一条一項但書をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒木恒平 裁判官 松野勉 裁判官 山本哲一)

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